「おっそい」

 せっかくの休みだというのにわざわざハイキングばりの坂道を登って部室に到着した俺を待っていたのは

もちろんSOS団の長、涼宮ハルヒの叱責の言葉である。

「アンタいったいドコをほっつき歩いてたのよ。まさか寝坊したんじゃないでしょうね。いい? たとえ十

分だろうが遅れてきたからには罰金よ、罰金」

 おいおい。これは谷口がだな。

「アンタの言いわけなんてどうでもいいわ。問題はあんたが遅れたことで掃除が進まなかったってことなの

よ。ちゃんと謝りなさいよね、みんなはもう始めてるんだから」

 部室を見渡すと、俺以外のSOS団メンバー全員がそろっていて、各々が分担された場所の掃除をこなし

ていた。長門は蔵書がずらりと並んだ唯一この部屋が文芸部室であることを思い出させてくれる本棚を丁寧

に整理していて、朝比奈さんはというとこの半年でずいぶんとラインナップの増えたお茶葉やコンロの周り

をいつものメイド姿で掃除している。少なくともメイド姿で掃除というのは正しい使い方だろう。古泉は自

分の持ち込んだボードゲームの類を少々真剣な顔つきで眺めている。大方どれを残すかで迷っているだけだ。

それにしても、部室の掃除というより自分の物を片付けているだけじゃないのか、これは。

 とまあ、俺が遅れを取ったのは承知した。それにハルヒに言い訳をしたところでコンクリートに糠をぶつ

けているようなもんだ。ハルヒが俺の意見を聞くかどうかなんて、そんなもん国木田と俺のテストの点数ど

っちが上か確かめるまでもないくらい明らかなことだ。で、ハルヒ。俺は何をすればいいんだ?

「そうね……まあいいわ。今度喫茶店あんたの奢りだからね」

 いつも俺のような気がするが。ハルヒは不機嫌そうな顔を戻してあっさりと、

「じゃあ、まずはそこの棚片付けて」

 ハルヒが指差した方向には、ハルヒによって持ち込まれたガラクタがところせましと詰め込まれていて、

さらにパンドラの箱と化したダンボールが数個積まれているもはや棚なのか理解に苦しむものが威風堂々鎮

座していた。

「じゃあ、って。これ……全部か?」

「当たり前じゃない。誰かがやらなくちゃ永遠に物は片付かないのよ。だからキョン、あんたがやりなさい」

 なにも俺一人でやらなくてもいいんじゃないのかと思うね、俺は。それにこれはハルヒが持ち込んだもの

だろ。ならせめてお前も手伝え。

「あたしはあたしでいろいろ片付けなくちゃいけないから忙しいのよ。キョン、あんた遅れて来たんだから

それぐらいはキチンとやりなさい。あ、でも勝手に捨てちゃ駄目だからね。あたしは物を大切に扱う主義な

の。だから捨てる時にはあたしに確認を取ってから捨てること。それと机も運びださないといけないから古

泉くんと一緒に部室の外に出しておいて頂戴。それじゃ、開始!」

 ハルヒは何故か楽しそうにそう言うと、鼻歌を歌いながら雑巾を持って窓を拭き始めた。

 やれやれ。いつか封印すると宣言したフレーズだが、今回は特例として許してほしい。

 ハルヒには念仏だろうが説法だろうが興味の向くこと以外何を言っても無駄なことを学んでいる俺は肩を

すくめてから、渋々掃除を開始することにした。

 

 

 数時間の重労働ののち、主にハルヒの備品のせいで物が溢れかえっていた文芸部室は、ようやく綺麗に整

頓されていると呼べる状態になり、ハルヒ指導の下動き回らされた俺はやっとパイプ椅子に腰を降ろすこと

ができた。

「はい、どうぞ。あったかいお茶です」

 朝比奈さんがお茶を淹れてくれ、

「ありがとうございます」

 俺はありがたく受け取ると、半分ほど一気に飲んだ。労働で疲労が溜まった身体にあったかいお茶が染み

こんでくる。これだけで普通のお茶より1.5倍はうまく感じるもんだ。そしてこのお茶は朝比奈さんが心

を籠めて淹れてくれたものなのだからその倍率は累乗で跳ね上がっていくというものだ。朝比奈さんはその

間にSOS団全員にお茶をくばっておられる。天使だねもう。ミカエルだって認めますよ。

 俺が朝比奈さんのお姿を眺めながら残りのお茶を飲んでいると、

「なんだこりゃ」

 紙がまわってきた。俺はちらりとハルヒの方を見る、どうやら配ったのはハルヒらしい。俺は目の前に置

かれた紙に目をやると、そこに書かれていたのは、

「今年に悔いを残さないためのSOS団活動・in年越し!」

 ハルヒは全員に紙がまわったことを確認すると高らかに宣言した。紙にはハルヒの字でそう書かれている。

まさかさっき作ったんじゃないだろうな。どうでもいいことだが、inってこの使い方であってるのか? 俺

は英語なんてさっぱりわからんので本当にどうでもいいのだが。問題はそこじゃない。

「ハルヒ、これはどういうことだ」

 ハルヒは胸を張って得意気な表情で、

「ふふん。あんたも一度は見たことがあるんじゃない?」

 そうだ、俺はこの紙切れに酷似したものを見たことがある。あれは夏休みのことだ。

 いつもの喫茶店でハルヒが取り出した一枚の紙切れ。そこに書いてあることを俺たちは二週間でやり遂げ

ることになったのだ。

 ハルヒの手書き計画書には、次のような日本語が書いてある。

 

  『年越しまでにしなきゃダメなこと』

  部室の大掃除。

  雪合戦。

  映画鑑賞。

  スケート。

  天体観測。

  バッティング練習。

  初詣で。

  その他。

 

 どこかで見たことがあるな。憶えているだろうか、俺は憶えている。なにせ一万五千四百九十八回も見た

からな。所謂ところの既視感というやつだ。思わず身体が強張ってしまったのも無意識に反応したためか。

「…………」

 部室内に一体感を持った沈黙が生まれる。ハルヒを除いてな。

 しかし、妙だな。あのときは違和感、既視感の叩き売りだったが今回はこれが初めてだ。

「だれか、ここに書かれてること以外でやりたいことある人、いる?」

 ハルヒが部室を舐め回すように見た。だがしかし、誰一人としてこの沈黙を破る者はいなかった。古泉は

驚いたような顔をしているし、朝比奈さんは顔を伏せてじっとしている。そりゃあそうか、あの時は未来に

帰れなくなって泣きじゃくっていたからな。トラウマにもなるだろう。そして、長門でさえも僅かに表情が

変化していた。ほんの僅かだが。確かに無から有へと変わっている。

「うん。まあいいわ。じゃあ、そこに書いてあるのを見て」

 俺はもう一度問題の紙を見た。いくつか夏と同じものがあるな。バッティング練習があるところを見ると

来年の草野球はまだ諦めていないらしい。初詣ではもう年を過ぎていると思うのだが、そこには深くつっこ

まないことにしよう。どうせハルヒは考えてないだろうからな。それよりも、最初の二つに大きなバツ印が

かけられている。このあたりも夏と似ているな。部室の大掃除に……雪合戦?

「あれ、雪合戦なんてやったか?」

 俺の疑問にすかさずハルヒが答えた。

「ふっふっふ。キョン、良く気付いたわね」

 ハルヒは子どもみたいに満面の笑みを浮かべて、

「これから、SOS団雪合戦を開催します!」

 

 

 かくして、ハルヒが放った行き当たりばったりの宣誓により俺たちは雪合戦を行うため中庭へと移動して

いるところである。しかしさっき掃除したばっかりだってのに運動は勘弁してほしいね。マジで。元気なの

はたぶんお前だけだぞ、ハルヒ。

 俺は前を歩く女子三人組の内、黙々と歩き続ける長門を見た。

「大丈夫」

 と部室を出るときに一言呟いた長門はそれ以上は何も言わなかった。俺にとってはその一言が何より安心

できる材料の一つであったし長門を疑うことなどあるはずもないが、ちょいと前にいろいろあった身として

はたったそれだけというのは少し不安になるね。

 まあ朝比奈さんも今はいつもの天真爛漫な笑顔に戻ってハルヒと話しているし、古泉も微笑みをキープし

続けているのだから八月後半のような異常事態にはなっていないのだろう。根拠は後で聞いておくか。

 ならば、とりあえず俺が行うべきは雪合戦というわけだ。

 中庭に到着すると、そこは文字通り前人未踏の雪景色だった。坂道で散々苦労するハメになった原因だが

こうもまっさらな雪だと夏派の俺でもさすがに飛び込みたくなってしまうな。

「じゃあまずは塹壕をつくりましょう。チーム分けは男子と女子で、それぞれ一つずつね。キョン、あんた

こっちを手伝いなさい」

 ハルヒの指示に反抗する理由も特にないので俺は塹壕をせっせと造ることにする。今日は手袋持ってきて

正解だったな。俺だけしもやけになるところだったぜ。

「これじゃあ埒が明かないわね。いつまでたっても雪合戦を始められないわ。キョン、ちょっとあたしスコ

ップを借りてくるからサボるんじゃないわよ」

 へいへい。と、ハルヒの姿が見えなくなったことを確認してから俺は朝比奈さんに話しかけた。

「朝比奈さん。さっきの紙についての件ですが、未来と連絡は取れるんでしょうか」

 前回夏休みが永遠にループしていることに気付いたのは未来と連絡が取れなくなったことだったからな。

「それについては大丈夫です。さっきコッソリ確認してみたんですけど連絡は取れました」

 じゃあ冬休みが終わらないなんてことはないんですね?

「はい。たぶん、ですけど。さっきあの紙を見たときはちょっとびっくりしちゃって。でも、長門さんや古

泉くんも何も言ってこないし、今回は何もないと思います」

 そうですか。なら良いんです。一緒にハルヒの注文をこなすとしましょう。

「キョンくん。あたし雪合戦ってあまりしたことがないんだけど、大丈夫かなぁ」

 朝比奈さんに雪玉が当たることは万が一にもありませんよ、と談合を済ませたところでハルヒがスコップ

を携えて帰ってきたため、俺は戦場の兵士よろしく塹壕を造る作業に戻った。

 

 

「いっけー! ほらほら、有希もみくるちゃんもドンドン当てていくのよっ!」

 向こう側から飛んで来る剛速球(主にハルヒの)を塹壕に隠れてやり過ごしながら、俺は傍らで雪玉を投

げ返している古泉に向かって質問をぶつけた。

「で、古泉。お前はどう思ってる」

 古泉はハンサムスマイルを崩すことなく雪玉を投げながら、

「どう、というのはどのことでしょう」

 もちろんあの紙についてだ。夏にはエンドレスなことになってしまったアレのことだ。長門は大丈夫だと

言っていたし、朝比奈さんも未来とはちゃんと連絡が取れているが、お前は何かあったりはしないのか。

 古泉が手持ちの雪玉を投げきり塹壕に引っ込んで来たので俺は代わりに頭を出して雪玉を投げ返すことに

する。

「私見ですが、おそらく何もないでしょう。涼宮さんはただ楽しんでいるだけです」

 楽しんでてもあいつは九月をどこかに消し去ってしまった訳だが。

「ええ。ですがそれは四ヵ月も前の話です。涼宮さんといえども、いえ、涼宮さんだからこそ、この四ヵ月

の間に大きく成長しているはずです。何か物足りないというだけで永遠に九月を消失させるようなことはし

ない、とあなたなら既にお分かりになっていると思いますが」

「……どうだかね」

「あなただってこの四ヵ月の間に変わったのではないですか? 少なくとも十二月二十一日に目を覚まして

以降のあなたはどこか頼もしく見えたのですが。それは僕の気のせいでしょうか」

 自分で言うのもなんだが、確かに俺は長門が暴走し世界が改変されたあの一件以来大きく変わった気がす

る。ハルヒが消失したことから始まり、眼鏡を掛けた恥ずかしがりやの長門の家に行ったりして、ハルヒの

手がかりを必死に探し、SOS団を再び集結させることが出来た後は三年前の七夕に飛んで、暴走した長門

を止めるために元の時間に戻ったら朝倉にナイフを刺されたりもした。それがつい一週間前のことだ。あれ

ほどSOS団の面々が恋しかったことはない。だから、そうだな。あそこで俺の中の何かが変わったことは

間違いないだろう。

「お前に気付かれてたとはな」

「できれば詳しくお話し願いたいですね。あなたを変えたその事件にも、あなたがどう変わったのかもすこ

ぶる興味が湧きますよ」

 今度機会があればな。それよりハルヒがまた変なことを起こさないよう気をつけてくれ。

 最後の雪玉をハルヒに向かって投げる。俺の雪玉をひらりとかわしたハルヒはカウンターのように雪玉を

投げ返してきた。痛え。ちょっとは手加減しやがれ。

「古泉。……本当に大丈夫なんだろうな」

 女子チームの的になる役を交代し俺は塹壕に引っ込む。古泉は笑みを崩すことなく答えた。

「あなたがここまで心配するとは珍しいですね。それもクリスマス前の事件の影響ですか? なんなら涼宮

さんが事件を起こす気はないというもう一つの根拠を差し上げましょうか」

 あるなら早く言え。

「朝比奈さんが未来に連絡を取れなくなったことで異変を感知できたように、僕にもそのような手段がある

のですよ。あなたならご存じでしょうが、僕は涼宮さんの精神活動、特に閉鎖空間のようなものに関しては

少しばかり敏感に読み取ることができます。ですので、例えば」

 古泉が引っ込んできた。仕方ない、俺が投げるとするか。

「例えば、あのエンドレスサマーのときのように、涼宮さんが九月を刈り取ってしまう程の異変を発生させ

ているのだとしたら、僕はそれを多少なりとも感知しているはずです。もっとも、あの時は連日続く違和感

や既視感のおかげで僕も動揺していたのでしょう。このことについてはすいません、謝っておきます。です

が同じ徹を踏もうとは思いません。もし今現在、涼宮さんが夏休みのようなことを起こしているのだとした

ら僕はすぐにあなたにご報告致しますよ」

 俺は古泉の話を聞きながら雪玉を投げ続けた。ハルヒにだけ当てるってのはなかなか難しいもんだ。

 古泉も立ち上がり雪玉を投げて言った。

「もしも、涼宮さんが何らかの異変を起こしたとしたら、そのときは僕に言ってください。できる限りのこ

となら何だって協力します。僕にとってはあなただって仲間の一人なのですからね」

 微笑みながら言ってもかっこよくは見えんぞ。

 だが、もしも何かが起きたら協力してもらうとしよう。長門に負担を掛ける訳にはいかんからな。

 俺の顔面に雪玉が当たり、俺は向こう側で笑ってるハルヒにめいいっぱいの力で雪玉を投げ返した。

 

 

 そんなこんなで雪合戦が終了したと思ったら次の日には映画鑑賞へと駆り出され、その後もハルヒの計画

を実行へと移すべく濃密で疲労にまみれた一週間はあっという間に過ぎた。さすがに中学の時のクラスメイ

トから電話がかかって来て突然愛の告白をされるなんてことはなかったし、ラグビーの試合中に超感覚なん

ちゃらをめぐる事件もなかったし、古泉のでっちあげ殺人推理大会第二弾が行われるなんてこともなければ

鶴屋家の別荘にお邪魔するなんてこともないので、スキー中に謎の洋館に閉じ込められることもなかったの

だが、冷静に考えてみればエンドレス夏休みは二週間あったのに対し今回は一週間だからな。やるべき行事

の数に大差はないのにこれでは俺の体もさすがに労働基本法を逸脱してるんじゃねえのかとストライキ目前

である。だがまあ問題なんて発生しない方がいいに決まっている。順当に行けば後一日で年越しだからそれ

まで我慢するとしようぜ。新年になったらハルヒに鍋でも作ってもらってそれでチャラにしよう。

長門や朝比奈さんや古泉が言ったように問題なんてなく、俺の心も穏やかだった。

 

この時点では。

 

 

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